女優の池波志乃さんは、芸能一家の家系でとても華やかなんです。
池波志乃さんのお父さんは有名な落語家で、おじさんも落語家という芸に彩られた一家なんですよ。
そんな池波志乃さんの家族構成や家系図について、詳しくまとめてご紹介していきますね。
池波志乃の父親は落語家の金原亭馬生
池波志乃さんのお父さんは、落語家の金原亭馬生さんです。
本名は美濃部清さんと言います。
落語家の父を持った家庭に生まれましたが、戦時中ということもあり、最初は海軍の飛行予科練習生を目指していたんだとか。
しかし腸の病気をしたことで人生観が変わり、軍人ではなく父と同じ落語家になりたいと思ったとのことです。
その後は、落語家としての人生を歩み続けます。
じっくり聴かせる噺を得意とし、金原亭馬生さんの芸風を確立しました。
昭和を代表する落語家さんのひとりですね。
私生活でも馬生さんは和服でいることを貫き、洋服を着なかったそうです。
書画や俳句など、落語以外のことも楽しむ人だったとのことです。
1982年には食道がんのため、54歳で亡くなっています。
池波正太郎との関係は?
一部では戦後の日本を代表する時代小説・歴史小説作家で『鬼平犯科帳』『剣客商売』で知られる、池波正太郎さんが父親なのでは?と疑問を持つ方がいるようです。
しかし、前述の通り池波志乃さんの父親は落語家の金原亭馬生(美濃部清)さんなので、池波正太郎さんとは無関係です。
ちなみに全く無関係ではなく、「池波志乃」と言う芸名は父・馬生さんが名付けていますが、池波正太郎さんの許可を得て名づけられています。
池波志乃の祖父は落語の神様と呼ばれた五代目古今亭志ん生
池波志乃さんの祖父は、
- 昭和の大名人
- 落語の神様
と呼ばれている落語家、五代目古今亭志ん生さんです。
2019年の大河ドラマ「いだてん」では、五代目古今亭志ん生が物語の語り手を務めていました。
志ん生は若い頃、非常に荒れた生活を送っており、その後も多くの困難を経験しました。
彼は各地で遊びまわり、家に帰れず、親や兄弟の死に目にも立ち会えなかったとされています。
また、志ん生は落語界の大物に反発して干されたこともありました。
池波志乃の叔父も落語家の古今亭志ん朝
池波志乃さんの叔父にあたる三代目古今亭志ん朝(ここんてい しんちょう)さんも、有名な落語家です。
志ん朝さんは、池波志乃さんの父・金原亭馬生の弟にあたります。
若手真打の頃から「落語若手四天王」と呼ばれた程の実力者だったそうですよ。
一部のファンからは「朝さま」の愛称で親しまれていました。
落語家としては初めて高級外車に乗り、都内一等地に居を構える等、派手な生活をしていたことで知られています。
このことについては父・志ん生さんに猛反対されていたとか。
今亭志ん朝は2001年に肝臓がんで63歳で亡くなっています。
鰻と酒類を好んでいたそうで、糖尿病に苦しめられていたそうです。
池波志乃さんのお父さんが亡くなった時、三代目古今亭志ん朝さんは「女優だったら泣くんじゃないよ」と言いながら、迷惑をかけた兄の死に志ん朝自身が泣いていたそうです。
これには池波志乃さんも涙が止まってしまったのだとか。
池波志乃の母親や兄弟について
池波志乃さんは、弟が1人と妹が1人の3人兄弟だそうです。
母親のことはあまり語られていません。
母親と弟は一般人のようで、名前や職業、生年月日などの情報は一切公開されていませんでした。
妹は「美濃部由紀子」さんという名前で活動されており、一般社団法人日本文化推進企画を設立したそうです。
落語に関係する職業ではありませんでしたが、祖父や叔父に関する書籍を出版しているんだとか。
池波志乃の華麗なる家系まとめ
池波志乃さんの家系図をまとめると、このようになります。
祖父:五代目古今亭志ん生(本名:美濃部孝蔵)
父:十代目金原亭馬生(本名:美濃部清)
叔父:三代目古今亭志ん朝(本名:美濃部強次)
弟:一般人のため不明
妹:美濃部由紀子
そして池波志乃さん自身の芸名の由来は、新国劇の座付作家でもあった小説家・池波正太郎さんにちなんでいるそうです。
現在、池波志乃さんのひ孫にあたる金原亭小駒さんも、落語家として活躍しているそうですよ。
落語一家ならではの、華麗な家系図が広がっていました。