鈴木康友さんは、静岡県浜松市出身の政治家です。
浜松市長を4期、衆議院議員を2期務めた後、2024年4月に静岡県知事選挙への出馬を表明し、見事当選しました。
ここでは、鈴木康友さんのこれまでの経歴を詳しく見ていきましょう。
鈴木康友(静岡県知事)の経歴が超エリート!
1957年8月23日、静岡県浜松市に生まれた鈴木康友さん。
地元の浜松市立広沢小学校、浜松市立蜆塚中学校を経て、静岡県立浜松北高等学校に進学します。
高校卒業後は慶應義塾大学法学部政治学科へ進学。
福沢諭吉が創設したこの名門私大の政治学科で、鈴木康友さんは政治学の基礎から各国事情、国際政治経済に至るまで、幅広い知識を吸収していきます。
松下政経塾とは?
鈴木康友さんが政治家を志した理由の一つに、松下政経塾での学びがあります。
松下政経塾は、松下電器産業(現パナソニック)の創業者・松下幸之助さんが、1979年に私財70億円を投じて設立した政治家養成学校です。
社会人経験者も含めた22歳から38歳までの青年を対象に、4年間の全寮制で政治リーダーの育成に取り組んでいます。
松下政経塾の最大の特長は、政治学や経済学、財政学などの専門知識だけでなく、茶道や書道、座禅といった日本の伝統文化、さらには自衛隊での体験入隊や100km強歩大会など、あらゆる分野の学びを提供していることです。
座学だけでなく実践的な活動にも重きが置かれ、塾生たちは4年間かけて徐々に視野を広げ、人間性を磨いていきます。
手厚い支援制度も倍率は40倍!政治家になる覚悟が必要
松下政経塾には手厚い支援制度があります。
塾生には毎月20万円の「研修資金」が支給され、各自の活動計画に基づく「活動資金」も別途支給されます。
授業料や入塾金は不要で、寮費も月4,500円と格安。
塾生は経済的な心配をすることなく、勉学に専念することができるのです。
ただし、在塾中は外部での就労が認められていません。
卒塾後も就職斡旋などはないため、4年間は「政治家になること」一本に絞った生活を覚悟しなければなりません。
また、募集定員の定めはありませんが、例年200名前後の出願に対して入塾者は5名程度です。
倍率にすると40倍になります。
40倍と言うとよくわからない領域ですが、一般的な倍率と比較すると40倍のすごさがわかります!
- 東京大学の一般入試の10倍以上
- 国家公務員総合職試験の20倍程度
- ディズニーランドの特別イベントの入場券の2倍以上
卒塾生たちは各界で活躍!
1期生の鈴木康友さんをはじめ、松下政経塾からは多くの政治家が誕生しています。
卒塾生の43%が政治の道に進み、国会議員だけで50名以上を数えます。
中には第95代内閣総理大臣の野田佳彦さんや、衆議院議員の逢沢一郎さんなど、日本の政界を牽引するリーダーも輩出。
さらに各省庁の幹部や地方自治体の首長、起業家やジャーナリストなど、実に多彩な人材を送り出してきました。
とはいえ、松下政経塾の門を叩けるのは、ごく一部のエリートだけです。
鈴木康友(静岡県知事)は2000年に初当選!
塾を卒業した後の鈴木康友さんの政界入りは、1999年の出来事に端を発します。
恩師でもあった北脇保之衆議院議員が浜松市長選に出馬するため議員を辞職したのです。
この時、民主党公認で静岡8区の衆院補選に立候補した鈴木康友さんは、惜しくも自民党候補に敗れました。
しかし、翌2000年の衆院選で再び立候補すると見事勝利し、初当選を果たします。
2007年4月には、「こども第一主義」や「くらし満足度向上計画」など独自の政策を掲げ、浜松市長選挙に当選しました。
以来4期16年の長きに渡り、浜松市政のかじ取りを担います。
在任中に力を注いだのが、ブラジルをはじめとする外国人住民との多文化共生施策でした。
その功績が認められ、2011年にはブラジル政府からリオ・ブランコ国家勲章が授与されています。
2019年の浜松市長選でも市民の強い支持を得て4選。
2期目の途中で新型コロナ対策に追われるなど苦難の連続でしたが、2023年4月まで職務を全うしました。
知事に就任!
市長退任後、鈴木康友さんは山梨県と浜松医科大学の顧問に就任。
新たな環境で地域や組織の発展に寄与する日々が続いた矢先の2024年4月、静岡県知事選挙への出馬表明です。
「やります!」。鈴木康友さんはそう語気を強めて決意を示しました。
そして2024年5月に静岡県知事に当選しました。
まとめ
浜松市に生まれ育ち、国政と地方行政の両方を知り尽くした鈴木康友さん。
経歴を見ているととんどもないエリートだということがわかりました!
今後の動向から目が離せません。