何かと世間を騒がせているつばさの党ですが、代表の黒川敦彦さんは何者なのでしょうか?
経歴を見ていると、黒川敦彦さんがどのような人なのかがわかっていきます。
なんと昔は今のような過激な方ではなかったということもわかりました。
今回はつばさの党の黒川敦彦さんの経歴を見ていきましょう。
黒川敦彦の正体が判明!2003年~2008年の経歴
ここからは黒川敦彦さんの経歴を詳しく見ていきましょう。
独立し会社を立ち上げる
2003年は黒川敦彦さんにとって大きな転機の年となりました。
大学卒業後、
- 国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)
- 大阪大学ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー(VBL)で研究員
としてキャリアを積んできた黒川さん。
この年、独立し自らの会社を立ち上げます。
独立後も黒川さんは研究活動を続けており、起業家としての顔も持ち合わせるようになります。
大阪大学フロンティア研究機構に就任
同じく2003年、黒川敦彦さんは大阪大学フロンティア研究機構のアシスタント・プログラム・フィクサーにも就任しました。
フロンティア研究機構は先端的な研究を推進するための組織です。
黒川さんはアシスタント・プログラム・フィクサーとして研究プロジェクトの運営をサポートする役割を担います。
独立して間もない時期に、母校である大阪大学の研究機構で重要な役割を任されたことは、黒川さんの研究者としての能力の高さを示しているのかもしれません。
この頃の黒川さんは、研究者としてのキャリアを着実に積み重ねつつ、自ら会社を立ち上げるなど。
新たな挑戦にも果敢に取り組んでいたようです。
研究者としての専門性と起業家としての才覚を兼ね備えた、まさに「研究者起業家」とも言うべき存在だったのかもしれません。
黒川敦彦は何者か正体が判明!2011年~2016年の経歴!政治に本格的参入
リーマン・ショックをきっかけに政治家を志す
2008年、世界を襲ったリーマン・ショックは、黒川敦彦さんの人生を大きく変える出来事となりました。
「今の金融業界に未来はない」と感じた黒川さんは、この出来事をきっかけに政治家を志すようになります。
研究者や起業家としてのキャリアを歩んできた黒川さんが、なぜ政治家を目指したのでしょうか。
おそらく、リーマン・ショックによって経済の脆弱性や社会の問題点を目の当たりにし、政治の力で解決したいと考えたのかもしれません。
黒川さんはこの頃から、政治活動に関心を持ち始めたと思われます。
リーマン・ショックは世界中に大きな影響を与えた出来事でした。
黒川敦彦さんにとっては政治家を目指すきっかけとなった、人生の分岐点だったのかもしれません。
今治市に帰郷し、農業と地域振興に携わる
2011年春、黒川敦彦さんは地元の愛媛県今治市に帰郷し、農業と地域振興事業に携わり始めます。
リーマン・ショックをきっかけに政治家を志すようになった黒川さん。
今治市は黒川さんの生まれ育った土地であり、地元の発展に尽力することは黒川さんにとって自然な選択だったのかもしれません。
「でんわ勝手連」事務局長に就任
2016年、黒川敦彦さんは本格的に政治活動に参入します。
安保関連法制廃止を掲げる候補者を応援する市民団体「でんわ勝手連」の事務局長に就任したのです。
「でんわ勝手連」は、2016年に成立した安全保障関連法に反対する市民団体で、同法の廃止を求めて活動していました。
黒川さんは事務局長として、団体の運営や活動方針の決定に関わります。
研究者や起業家としてのバックグラウンドを持つ黒川さん。
市民団体の運営に携わることで、政治活動の実践的なノウハウを学んだのかもしれません。
黒川敦彦は何者か正体が判明!2017年~2019年の経歴!政治の表舞台への躍進と挫折
「今治加計獣医学部問題を考える会」共同代表に就任
2017年5月、黒川敦彦さんは市民団体「今治加計獣医学部問題を考える会」を結成し、共同代表に就任します。
加計学園の獣医学部新設をめぐる問題は、当時の政権与党であった自民党と安倍晋三首相の大きな痛手となった問題です。
黒川さんは地元今治市の出身ということもあり、この問題に強い関心を持ったのでしょう。
「今治加計獣医学部問題を考える会」の活動は、マスメディアでも大きく取り上げられました。
黒川さんは共同代表として、国政レベルの問題に切り込む姿勢を見せます。
同年8月には、野党の民進党が開いた「加計学園疑惑調査チーム」の会合で講師を務めるなど、政治の表舞台にも躍り出ました。
衆議院議員総選挙に無所属で立候補するも落選
そして2017年10月、黒川敦彦さんは第48回衆議院議員総選挙に無所属で立候補します。
立候補したのは、当時の安倍晋三首相の地盤である山口県第4区。
選挙戦では、加計学園問題などを追及する姿勢を見せましたが、結果は安倍首相に大差で敗れての落選となりました。
しかし、この選挙戦は黒川さんにとって政治家としての貴重な経験となったはずです。
無所属で国政選挙に挑戦するチャレンジ精神は、黒川さんの政治家としての資質を示すものだったと言えるでしょう。
落選は痛手ではありましたが、この経験を糧に黒川さんは更なる政治活動へと歩みを進めることになります。
政治団体「オリーブの木」を結成
2019年5月、黒川敦彦さんは新たな政治団体「オリーブの木」を結成します。
「オリーブの木」は、既存の政党に属さない無所属の候補者を支援する政治団体として発足しました。
黒川さんは、「オリーブの木」の代表に就任。
参議院議員通常選挙に立候補するも落選
そして同年7月、黒川敦彦さんは第25回参議院議員通常選挙に「オリーブの木」の代表として立候補します。
しかし、結果は12,246票を獲得するも落選。
「オリーブの木」からは黒川さん以外の候補者が次々と離党するなど、団体の運営は難航します。
参議院議員選挙での落選は、黒川さんにとって大きな挫折だったかもしれません。
しかし、この経験を乗り越え、黒川さんは新たな政治活動の場を模索していくことになるのです。
黒川敦彦は何者か正体が判明!2020年~2021年の経歴!東京都知事に?
東京都知事選への出馬を表明するも取りやめ
2019年12月、黒川敦彦さんは翌年7月に予定されていた東京都知事選挙に「オリーブの木」公認で立候補する意向を表明します。
黒川さんは記者会見で、「オリーブの木」代表としての立候補を正式に表明。
参議院議員選挙での落選から一転、国政とは異なる舞台での挑戦を目指したのです。
しかし、2020年5月、黒川さんは東京都知事選挙への立候補を取りやめると発表します。
国政とは異なる舞台での活躍を目指す姿勢は、黒川さんの政治家としての可能性を感じさせるものでした。
「つばさの党」に党名変更し代表に就任
2021年1月1日、黒川敦彦さんは「オリーブの木」から党名を「つばさの党」に変更し、代表に就任します。
「つばさの党」は、「オリーブの木」の理念を継承しつつ、新たな政治勢力としての飛躍を目指す党として発足しました。
黒川さんは代表として、党の運営や政策立案に尽力します。
NHK党の選挙対策本部長に就任
同年7月、黒川敦彦さんはNHK党(正式名称は「NHKから国民を守る党」)の選挙対策本部長に就任します。
NHK党は、NHK撲滅を掲げる政党で、当時は立花孝志氏が党首を務めていました。
黒川さんは、NHK党の選挙戦略の立案や実行を担う重要な役割を任されたのです。
衆議院議員総選挙にNHK党公認で立候補するも落選
そして同年10月、黒川敦彦さんは第49回衆議院議員総選挙にNHK党公認で比例北関東ブロックから立候補します。
しかし、結果は惜しくも落選。
NHK党からは当選者を出すことができませんでした。
衆議院議員総選挙での落選は、黒川さんにとって痛恨の結果だったかもしれません。
しかし、必死に奮闘する姿は黒川さんの政治家としての前進を感じさせるものでした。
黒川敦彦は何者か正体が判明!2022年~2024年の経歴!過激化と逮捕
NHK党の幹事長に就任
2022年1月25日、黒川敦彦さんはNHK党の幹事長に就任します。
幹事長として、黒川さんはNHK党の組織運営や政策立案に尽力します。
町田市長選挙に立候補するも落選
同年2月、黒川敦彦さんは町田市長選挙にNHK党公認で立候補します。
国政とは異なる地方選挙への挑戦は、黒川さんの政治家としての意欲の表れだったと言えるでしょう。
しかし、結果は落選。
地方政治の舞台でも、黒川さんの挑戦は続きます。
参議院議員選挙に立候補するも落選
そして同年7月、黒川敦彦さんは第26回参議院議員選挙にNHK党公認で全国比例区から出馬します。
選挙戦では、NHK党幹部としてNHKの日曜討論に出演するなど、存在感を示しました。
しかし、結果は次点での落選。
過激な街宣活動やデモ行為で物議を醸す
2022年、黒川敦彦さんの政治活動が過激さを増していきます。
9月には、
- 統一教会(世界平和統一家庭連合)の日本本部前で抗議活動
- 三浦春馬さんの死をめぐる陰謀論を唱える集団のデモに参加
これらの行動が物議を醸すようになりました。
過激な街宣活動やデモ行為は、黒川さんの政治スタイルの一つとなっていきます。
2023年3月、黒川敦彦さんは幸福の科学の施設前で行った街宣活動に対し、裁判所から禁止命令を受けます。
宗教法人の施設前での過激な抗議活動は、黒川さんの政治活動の限界が問われる出来事となりました。
衆議院東京15区補欠選挙で選挙妨害活動
2024年4月、衆議院東京15区補欠選挙が行われました。
この選挙で、つばさの党の幹事長・根本良輔氏が立候補。
黒川敦彦さんは根本氏とともに、他の候補者の選挙活動を妨害する行為に及びます。
そして同年5月13日、黒川敦彦さんの自宅や事務所が家宅捜索を受けます。
選挙妨害活動が問題視され、捜査の手が伸びたのです。
黒川さんの政治活動がついに法の裁きを受ける事態となりました。
公職選挙法違反の疑いで逮捕
そして5月17日、ついに黒川敦彦さんは公職選挙法違反(選挙の自由妨害)の疑いで逮捕されます。
2024年は、黒川敦彦さんにとって政治家としての分岐点となる年となりました。
過激な政治活動が問題視され、ついには逮捕されるに至った黒川さん。
どこをきっかけとして、このような事態になってしまったのでしょうか?
昔を知る人が驚くほど性格が激変!
黒川敦彦さんを知る人曰く、昔はこのような過激な事をする人ではなかったとのことです。
「話は理路整然として分かりやすい。終始笑顔で性格は穏やか。今のように怒りの感情を激しく表すこともなかった。こつこつと地道に資料を入手し、分析している姿が印象的で、当時、新聞、テレビなど多くのメディア記者が取材で話を聞きに来ていた」
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/
黒川敦彦さんのことを報道でしか知らない人にとってはなかなか衝撃の事実だと思います。
ただ、黒川敦彦さんは非常に高学歴で頭の良い方なので、理路整然と話ができるというのは当然のことでしょう。
なぜ今のような過激なスタイルになってしまったのでしょうか?
引用元の記事によると2017年頃にNHK党の方と交流を持ち、そこから性格が変わってしまったともいわれています。
真偽はわかりませんが、たしかに一時期のNHK党はかなり過激なことをしていた印象ですね。
黒川敦彦さんは果たして本当にNHK党の影響を受けてしまったのでしょうか…。
まとめ:型破りな経歴を歩む黒川敦彦の半生
黒川敦彦さんの経歴を振り返ってみると、研究者から政治家へと大きく舵を切った型破りの半生だったと言えるでしょう。
大学卒業後は研究者としてのキャリアをスタートさせ、独立して会社を立ち上げるなど、起業家としての顔も持ち合わせていました。
研究者から政治家へと転身し、型破りの経歴を歩んできた黒川敦彦さん。
黒川敦彦さんの今後の動向から、目が離せません。