井上純一さんは、日本の俳優、声優として知られています。
井上純一さんのキャリアは、ジャニーズ事務所に所属していた時期から現在に至るまで、多岐にわたる活動を続けています。
この記事では、井上純一さんのジャニーズ事務所での活動、退所後のキャリア、そして現在の活動について詳しく解説します。
井上純一の学歴がすごい!
出身幼稚園・小学校・中学校は?
幼稚園は中原幼稚園(東京都世田谷区)です。
小学校は世田谷区立代田小学校で1971年3月卒業されています。
中学校は世田谷区立梅丘中学校で1974年3月卒業されています。
井上純一さんは東京都世田谷区代田で生まれ育ち、地元の学校に通っていたことが分かります。
出身高校は早稲田大学高等学院
出身高校は早稲田大学高等学院です。
早稲田大学高等学院は、東京都練馬区に位置する男子校で、早稲田大学の付属校の一つです。
この学校は高い学力と自主性を重んじる自由な校風で知られています。
早稲田大学高等学院の偏差値は73(男子校)とのことです。
この偏差値は、非常に高い水準を示しており、全国でもトップクラスの難易度を誇ります。
早稲田大学高等学院は、早稲田大学への進学率が非常に高く、所定の基準を満たす卒業生は早稲田大学に進学できるという特典もあります。
出身大学は早稲田大学第一文学部(中退)
高校卒業後は早稲田大学の系列校である早稲田大学高等学院に進学し、その後早稲田大学に進みましたが、大学は中退しています。
大学については、当初は早稲田大学の理工学部を志望していたものの、難しすぎるとのことで文学部にランクを落としたという情報もあります。
井上純一の経歴は元ジャニーズ!
ジャニーズ事務所入所と初期活動
井上純一さんは1974年、早稲田大学高等学院在学中にジャニーズ事務所に入所しました。
彼は「ジャニーズ・ジュニア第1期生」として活動を開始し、すぐに注目を浴びる存在となりました。
1974年夏には「ジュニア・スペシャル」というグループに加入し、アイドルとしてのキャリアをスタートさせました。
ジュニア・スペシャルでの活動
「ジュニア・スペシャル」は当初、板野俊雄さん、林正明さん、山縣孝良さんの3人組でしたが、井上さんが加入することで4人組となりました。
その後、畠山昌久さんも加入しましたが、井上さんは脱退し、最終的には「板野・林・畠山」の3人構成となりました。
このグループでの活動を通じて、井上さんは多くのファンを獲得しました。
ソロデビューと俳優活動
1975年2月21日、井上さんは「ベルサイユのばら」でソロデビューを果たしました。
「ポストひろみ」のキャッチフレーズでアイドル歌手としてデビューしましたが、歌手としては大きな成功には至りませんでした。
しかし、俳優としての活動は順調に進み、1975年には映画「はつ恋」で俳優デビューを果たしました。
その後も「ゆうひが丘の総理大臣」や「池中玄太80キロ」など、数々の人気ドラマに出演し、俳優としての地位を確立しました。
ジャニーズ事務所での貢献
井上純一さんは、1979年にブロマイドの売り上げが男性部門で2位、翌年もTOP10入りを果たすなど、ジャニーズ事務所の低迷期を支えた重要な存在でした。
彼の人気は、郷ひろみの退所後、「たのきんトリオ」登場までの間、事務所を支える大きな力となりました。
退所
1980年、井上純一さんはジャニーズ事務所を退所しました。
しかし、彼のキャリアはここで終わることなく、さらに多岐にわたる活動を続けていきます。
井上純一のジャニーズ退所後の活動!
所属事務所の変遷
ジャニーズ事務所を退所した後、井上純一さんは複数の事務所に所属しながら活動を続けました。
エヌ企画(1980年 – 1981年):
ジャニーズ事務所の元専務・中辻正さんが設立したプロダクションに所属しました。
タッド(1981年 – 1982年):
短期間所属しましたが、ここでも俳優としての活動を続けました。
松永事務所(1982年 – 1994年):
長期間にわたり所属し、俳優としての基盤を築きました。
ソーラーカンパニー(1994年 or 1995年 – 1996年):
ここでも俳優活動を継続しました。
オフィスJ(1996年 – 2013年):
多くの舞台やドラマに出演し、俳優としてのキャリアを積みました。
劇団NLT(2013年まで):
業務提携で所属し、舞台を中心に活動しました。
株式会社NLT(2013年 – 現在):
現在も所属し、舞台を中心に活動を続けています。
俳優としての活動
井上純一さんは、映画、テレビドラマ、舞台と多岐にわたる分野で俳優として活動を続けています。
映画出演
井上さんは、1975年の「はつ恋」で映画デビューを果たしました。その後も多くの映画に出演し、俳優としての地位を確立しました。
代表作には以下のようなものがあります
- 「海嶺」(1983年)
- 「化粧」(1984年)
- 「櫂」(1985年)
- 「吉原炎上」(1987年)
- 「竹取物語」(1987年)
テレビドラマ
1970年代後半から1980年代にかけて、井上さんは数々の人気ドラマに出演し、若手俳優としての地位を確立しました。
特に以下の作品が代表的です
- 「ゆうひが丘の総理大臣」(1978年)
- 「池中玄太80キロ」シリーズ(1982年〜)
舞台
退所後は舞台を中心に活動し、多くの作品に出演しました。
代表的な舞台作品には以下のようなものがあります
- 「ミュージカル坂本龍馬」(1991年)
- 「ペン」(2010年)
- 「喜劇 花はらんまん」(2013年)
- 「しあわせの雨傘」(2016年)
声優としての活動
井上純一さんは俳優としてのキャリアだけでなく、声優としても活躍しています。
代表的な声優作品には以下のものがあります
- 「地球へ…」(1980年) – ジョミー・マーキス・シン役
- 「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」(1998年) – 天草翔伍役
- 「ビーストウォーズ」シリーズ – ビッグコンボイ役
特に「地球へ…」のジョミー・マーキス・シン役は、井上さんの声優キャリアの中でも最も有名な役の一つとして知られています。
現在の状況
現在も舞台を中心に活動しており、俳優としてのキャリアを続けています。
「もっと売れたい」という欲はなく、自分のペースで活動していると語っています。
まとめ
井上純一さんは、ジャニーズ事務所に所属していた時期から現在に至るまで、多岐にわたる活動を続けてきました。
彼はジャニーズ事務所の低迷期を支えた重要な存在であり、退所後も俳優としてのキャリアを積み重ねています。
現在も舞台を中心に活動を続けており、健康にも気を使いながら、自分のペースで活動を続けています。
井上純一さんの多岐にわたるキャリアは、彼の努力と才能の賜物であり、今後もその活躍が期待されます。